サラダボウルな世界

サラダボウルな世界
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色とりどりなサラダのような世界を見てみたい

この世界は「サラダボウル」みんな違ってみんないい

アメリカが人種のるつぼと呼ばれていたのはもう過去の話。

より多種化し共存する世界は「サラダボウル」と呼ばれる。

ボウルに入った色彩豊かなサラダの中では、真っ赤で大きいトマトもみずみずしいレタスもぷりっと蒸されたサラダチキンも、みんなが主役だ。

「みんな違ってみんないい」

1人1人の色や味わいが違うからこそカラフルで美しい世界に見える。

でも現実はどうか。

世の中は理不尽で溢れている。

たまたまそこに生まれ、その家族の一員として生まれる。生まれた時から宗教が周りにあり、貧困の上に生を受ける赤ちゃんもいる。その裏側では、高層マンションから夜景を眺め、お手伝いさんが身の回りの世話をしている。

生まれた時代や場が -自分の意志が全く及ばないところで- その人の運命を決める。

「一生懸命努力すれば必ず報われるよ!」

そんな言葉が空を切る。どうあがいても抗えない社会的暴力、絶対貧困、戦争がそこにはある。

「先進国の人間の命とアフリカの人間の命では重みが違う」

そんな言葉、糞くらえだ。人の命は誰であっても等しくて尊い。正確には、平等である世界であるべきだ。アフリカの田舎で生まれたからと言って栄養失調で死んでいいわけがないし、中東の紛争国で生まれたからといって空爆で死んでいいわけがない。

差別や格差、排除、分断が世界を取り巻く。権力争いに巻き込まれ家族を失った子どもたちは路頭を迷いながら、ゴミに手を伸ばす。生きていくために盗みを働き、驚くほどの低賃金で一日中汗水を垂らす。

中には唯一無二の身体を売りお金を稼ぐ女の子もいる。ただ当たり前に座って食事を取る事も許されず、屋根のある場所で寝ることも許されない。

僕たちがジュースを口にしている時、地球の裏側では泥水で口を潤す子どもたちがいる。映画でもドラマでもなんでもない。それが現実だ。

真っ暗な世界の端っこで叫ばれる届かない声

どんなに叫んでも世界には届かない真っ暗な底で、「ただただ生きたい」と声を枯らす。「みんなと同じように家族が欲しいし、学校にも行きたい」と涙を流す。

この子どもたちに何の罪があってこんな罰を受けるのだろう。

そもそもこの理不尽な世界を作り、それに目を背けているのは誰なんだろうか。

僕たち「大人」だ。

「自分の生活で精いっぱいだから」と他人事のように一瞥をくべ、「遠い世界のことだから自分には関係ない」と見向きもしない。自分の国、日本のことですら関心を示さず、選挙への参加率低下が謳われる。周りの友人や同僚以外の人間にはまるで興味を示さず、空気のように扱う。

そしてある程度の収入と家族、それさえあれば自分にはもう何もいらないと言う。自分の見たことのないものを「知らない」の一言で片づけ、「何をすればいいのか分からない」と目を瞑る。

分からないなら、思いつく限りのことをやってみればいいし、誰かに聞けばいい。ネットを開けば、星の数の情報がヒントをくれる。それなのに現実は、行動する人が偽善者だと罵られ、「日本人」らしく生きない人はバカにされる。

いつか自信を持って「この世界が好きだ!」と言える日が来るまで

僕はそんな世の中が嫌いだ。

みんなの少しの優しさが人に向けられるだけで、笑顔が生まれるのに、なぜか言葉の刃物を突き立てようとする。憎しみが憎しみを生み、悲しみだけが残る。

国と国が手を繋ぎ、そこに住む人たちが肩を組めば殺されずに済む人が大勢いるのに、実際は国が他国を陥れ、人々は銃を向け合う。そしてそこで命が奪われ、未来に続く道が瓦解する。

「世界を平和にしたい」

愚かに聞こえるかもしれないし、ただの綺麗ごとかもしれない。

でも僕はいつかそんな世界を見てみたい。

一人一人が色彩を放ち、カラフルに盛り付けられたサラダのような、そんな世界を。

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