ゴミ山の少女との出会いが僕の人生を変えた話

ゴミ山の少女との出会いが僕の人生を変えた話
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この記事は僕がこのブログを始める原点となったお話を紹介します。

本ブログ「ワレワレハ地球人ダ」に記事を投稿していくにあたり、自分自身の原体験を振り返りました。これを読めば、地球人ハルのことをもっと知っていただけると思います。リアルをお伝えするため物語調で書きました。稚拙駄文ですがご容赦ください。

フィリピンで出会った1人の少女

僕の人生を変えたのは大学2年生の春、フィリピンでのある出来事だった。

フィリピンのごみ山(通称スモーキーマウンテン)に暮らすボロボロな服を来た1人の少女のことを、僕は一生忘れることはないだろう。

当時、大学生だった僕はフィリピンでの教育支援やスタディツアーに参加する学生団体に所属していた。参加のきっかけは、些細なことだった。

大学内掲示板に貼られた、いかにも大学生が作った手作り感満載のA4チラシを見ると、説明会の日程がたまたまその日の昼休みだった。チラシにデカデカと書かれた「フィリピンでボランティア活動!」という言葉に胸が踊った。説明会を終えるとその場で申し込みを決めた。

家族旅行で中学生の頃に一度海外に行ったきり、日本に閉じこもり、バイトに明け暮れて大学生活にも刺激が少なくなっていた僕にとって、教育×ボランティアという組み合わせは非常に魅力的だった。高校時代、英語の試験で最下位を取っていた僕だが、英語に対しても全く不安がなかった。正確に言うと、不安になるほど英語でのコミュニケーションを今までにして来なかった。

その時まで海外、フィリピンに全く関心のなかったため、渡航までに出来る限り調べあげ、イメージをどんどんと膨らませた。

待ちに待った渡航の日

そして、月日が経ち、遂にフィリピンの地に足を踏み入れた。空港を出るとむわっとした空気が体中を舐めたが、全く嫌な気分がしなかった。それよりも、これから見る新しい景色を想像するとワクワクが止まらなかった。空港では現地で暮らすフィリピン人スタッフが迎えてくれた。やたらとフレンドリーな彼らは、出会ってすぐに初対面の僕に握手とハグを求めた。その時僕の胸が激しく鼓動した。心が叫びをあげた。

「これが海外なんだ!これがフィリピンなんだ!」

「名前は何て言うんだ?出身はどこだ?大阪か?東京か?初めてのフィリピンはどうだ?」

キラキラした瞳で矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。それに対して、壊れかけたラジオのように、拙い英語で途切れ途切れの返事をした。体を一生懸命くねらせ、顔をくしゃくしゃにしながら伝える姿は周りから見れば滑稽だったに違いない。でも、そんなことはどうだって良かった。僕は言葉も文化も違う国に来ているのだ。

これは後日談だが、その時に話したフィリピン人に4年後に再会した時に「最初にあった時のお前は英語がかなり酷かった!笑顔とダンスだけでコミュニケーションを取っていた!」と言われた。

初めてのフィリピン生活は楽しかった。片田舎でホームステイをしながら、文化や慣習を体中で吸収した。初めて井戸から水を汲んで水浴びをした。ご飯は現地の人と同じように手で食べた。

何気ない魚の素揚げがやけに美味しかった。お腹を壊すこともあったし、足は蚊の餌食になったが、それでもやっぱり楽しかった。日に日にフィリピンという国やフィリピン人のことが好きになった。そして、もっと知りたいと思うようになった。

そこでの生活に少し慣れてきた頃、僕はこの国最大の課題に直面することとなる。

ごみ山だ。

フィリピンは、法律によりゴミ焼却が禁止されている唯一の国だ。全てのごみが地域の一箇所に集められ積み上げられていく。スモーキーマウンテンの名前は、積まれたゴミが自然発火し有毒ガスが発生することに由来する。そこでは、金属やプラスチックなど換金できるごみを探し、拾っていく人々の姿が多く見られる。ウエストピッカー、スカベンジャーと呼ばれる人たちだ。

山が突然崩れ下敷きになる人も毎年大勢いる。地面に転がった釘や鋭く尖った金属片で怪我をする人も後を絶えない。

幸運にも、そのごみ山に入って見学することを許された。生ごみの腐った臭いが風に乗って漂っており、数km先からもごみ山の存在が確認できた。ジプニー(フィリピンのローカルバス)がごみ山の前に止まると、僕は思わず鼻を抑えた。強烈な刺激臭が鼻に刺さった。

「今からここに入るのか。。。」

インターネットや本で勉強した情報を遥かに凌駕していた。それでも僕は学びに来たのだ。引き返すという選択肢はもちろんない。

そして、長靴を履き、マスクをつけ「外国人スタイル」でごみ山へと足を踏み入れた。目の前に立ちはだかるごみの壁で先が全く見えなかった。そのごみ山は東京ドーム数個分の範囲にまで広がっているそうだ。想像するだけで吐き気がした。フィリピン人が「大丈夫か?一回出る?」と声を掛けてくれる。

少し「山」を登っていくと100mほど先で、30人ほどの男がごみを拾っている姿が目に入った。「あの人たちがウエストピッカーだよ。」と説明してくれる。ごみの収集車から落とされる数十kgのごみに突っ込み、我先にと金目のものを漁り、背中にある収集カゴに次々と投げ込まれていく。日本のぬるま湯で育った僕にとっては、あまりにも衝撃的な光景だったが、ここでは毎日「それ」が行われている。

ふと数m先に目を落とすと1人の女の子がこっちを見ていることに気がついた。8歳くらいだろうか。本来なら学校に行っているはずの時間だった。鮮やかなピンクだったはずの服はくすみ、お腹や肩の部分に大きな穴が空いていた。靴は履いていない。裸足だった。

近づいて「マガンダンガビー(タガログ語またはフィリピノ語でこんにちは)」と声を掛けてみたが、反応はなかった。

通訳を介して「ここは危ないよ。何をしているの?学校はないの?」と聞いてみた。今思うと本当に考えの浅い馬鹿げた質問だった。

「ごみを拾って、お金になるものを探しているよ。拾わないと今日か明日死んじゃうかもしれないでしょ?」

これほどまでに酷かったのかと言葉を失った。思わずつけていたマスクを剥がし取った。

思考が停止し真っ白になった頭の中とは裏腹に、目から涙が溢れた。しばらくして、こんなに幼い少女にまで貧困の波が押し寄せているのかと、悲しみと憎しみが混じった何とも表現し難い思いが、真っ白だった頭を埋め尽くした。

その運命の出会いが僕の人生を変える

それまで僕が将来したいと考えていた教育は、「日本での学校の教育」だった。でも、世界には、もちろん日本にも、学校にすら行けない子どもがたくさんいる。学校でいくら国語や数学、生き方を伝えても、学校に来ていない人たちには届かない。

帰国してからも、モヤモヤとした気持ちが拭えず、何不自由なく暮らしていた日本での生活にどこかぽっかりと穴が開いたようだった。

僕らが暮らしているのは同じ地球の上なのに、海を越えると、そこでは未来を見ることさえ許されず、今生きることだけを考えてごみ拾いをしながら生活する子どもたちがいる。

世界中で人々を苦しめている貧困や差別、宗教の違い、政府からの抑圧、そして紛争や両親との死別。

その場所で、その時に、生まれたからという理不尽な理由だけで苦しめられる人がいるという事実。

僕はたまたま日本に生まれ、生まれた時から温かい布団と美味しいご飯、充実した教育環境が側にあった。ごみを拾って食べることも、家の中で銃声に怯えることもなかった。自分にとって当たり前の人生が、いかに特別で恵まれているのかを痛感した。

そして、僕は日本人をやめることにした。

同じ地球人として自分にできることを、人生を掛けて取り込もうと決めた。何をすればいいのか分からない、自分に何が出来るのか分からない。そんな状態だったが、手探りでもいいから、がむしゃらに進んだ。手当たり次第に本を読み、思いつく限りの大人に話を聞いた。興味のある講演に参加し、フィリピンにも毎年足を運んだ。

そして、そんな少女との出会いから、10年近く経ち、僕はアフリカにいる。地球人の原点となる少女との出会いからジグザグな線グラフを描きながらここまで来た。今でも、どうすれば世界はもとより日本から、理不尽に苦しむ人々をなくせるのかは全く分からない。それでも、あの時よりは、困難に立ち向かう仲間が増えた。

理不尽な世界を変えようとする「地球人」たちが今も世界のどこかで闘っている。

こんなことを言うと語弊があるかも知れないが、僕は世界を救いたい!とか世界の子どもたちのために!という思いが根本にあって生きているわけではない。

耐え難い苦しみを抱えて生きている人たちの姿を見たくないし、自分の息子や娘、孫の世代に少しでも明るい未来を見て欲しいだけだ。苦しみや悩みを抱える人たちの環境が、自分のエゴに巻き込まれて良くなれば、僕がこの世に生まれてきた意味となる。これからも自分自身がもがき、悩み、苦しみながら、泥臭くがむしゃらに生きたい。

決意を新たに、この場を借りて原点を振り返る。

終わり。

ブログ「ワレワレハ地球人ダ」を通じて、今までに自分が感じた苦悩やその解決策を発信してまいります。皆様がより元気や勇気に溢れ、豊かな人生を歩む一助となるよう頑張りますので応援よろしくお願いします!

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